タイトルイメージ
リンク
 
活性化タイトル  
【歴史、言い伝え】

 中之又神楽は米良圏神楽の一つである。米良圏神楽の最も大きな特色は、鎮守祭神並びに眷属神が次々に舞人となって登場することで、神体出現の神楽などといわれる。神体出現までは厳粛な演目であって神々の世界を演じ、それ以降でなければ「神楽囃子」をかけることもできない。  
 また、中之又神楽は旧来の修験的要素を徐々に払拭しつつ現代まで幾変遷がみられるが、幾分混乱しているようにも考えられる。  
 
 神楽の舞い始めは、口碑によると400年前とも200年前とも伝えているが、江戸中期にはほぼ現状に近いかたちで奉納されていたようである。また、当日神楽番付とは別枠で同時並行の狩猟神事を営むなど、土地柄をよく反映している。  
 祭場の構成等から、以前はもっと修験色の強いものだったであろうが、神仏分離、修験道廃止等によって神道化が進んだものと推察される。中之又神楽は昭和54年4月無形民族文化財として町の指定をうけた。


《祭 場》
 中之又神楽では、高天原をあらわした舞い場を舞殿(まいでん)という。社殿左側の広場にしつらえるが、神籬(垣)は真竹の竹垣に椎柴をさし、中央に注連立てをする。  
 八ッ注連の結び目中央には、普通に米良圏神楽ではアマを吊るすが、中之又神楽では5色の切り紙でシデ房をつくり、舞殿中央頭上の位置に吊るす。これを、ぼんてん(梵天)という。密教・修験の古風をとどめていると思われる。


【現在の様子】
 地域の高齢化が進み、地区内だけでは神楽も継続が難しくなっています。山村留学のこどもたち、あるいは父兄に呼びかけ、なんとか21年度も大祭が行われた次第です。


コピーライト 2010〜 中之又チャレンジ