古来、鹿は、食物として狩られ、食べられ続けてきた。追われる鹿は、「逃げる」ことしか防御の手段を持たない。逃げる鹿は、風のように山を越え、時に立ち止まり、澄んだ瞳で山の彼方を見つめる。狩りの獲物としての鹿は、一方で、神の使いとして信仰され、洞窟の壁画や種々の器物の装飾、絵画の題材などとして描かれ続けてきた。美しく、優しい姿と、生命の糧となる美味なる肉が、愛され、親しまれ、信仰されたのである。中之又の鹿倉様は、大いなる米良山脈を支配する山の神と同体の神として信仰され、祭りの場に降臨し、優雅な舞を舞う。
屋敷原鹿倉神社に伝わる鹿倉面は、緑色の仮面である。唇にやや赤みを残すが強い表情である。額にある鉢巻のような造形物が米良山系に分布する「宿神」との類似を思わせる。宿神とは、星宿信仰にもとづく土地神である。?木鹿倉神社の鹿倉面は、同じく緑色の面で、やはり鉢巻状の造形物があり、二本の呪符のようなものを挟んでいる。中野の鹿倉面は、小ぶりの薄茶色の面である。稲荷様は、大きく口を開けて牙をむいた「狼」を思わせる強烈な造型である。八幡様も緑の仮面で額には玉眼のような突起物がある。
鹿倉面は、いずれも鮮明な土着性を示し、修験道、星宿信仰などとの混交を示唆する。古代の狩猟儀礼が、渡来の道教系の信仰や仏教等と習合し、独自の様式を獲得したものであろう。神秘の造型は、鹿倉面の起源と、仮面祭祀の源流を探訪する一級の資料でもある。
板屋集落の下手のやや谷に近い場所にある森の中に、板谷地区の氏神を祀る本山天神社がある。この小暗い森には、「山の神」「荒神」「水神」「猿田彦」などを表す御幣が立てられている。これらの神々は、本来、村の方々に点在していたものだが、現在はこうして一箇所に集められ、地区の氏神である「天神」とともに祀られる。「天神」は、中之又神社の大祭の折、神楽の式十番「天神舞」として降臨する。御幣は、椎葉や米良山系の山々などで「モリ」と呼ばれる人形御幣(ひとがたごへい)である。「モリ」は、山の神信仰や巨石信仰・巨木信仰などと混交しながら伝承されてきた。神楽の折にも、神社の裏手の森の中の神木に取り付けられたり、巨石の前に立てられたりする。「モリ」とは、古くからその土地に座す在地の神であり、山と森の精霊神であろう。
インターネット空想の森美術館(高見乾司氏)より抜粋
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